メモ書き、走り書き。

うまく表現ができなくて、書くことに気がむかないままにしていたことがあります。

 

かといって、

今から書くことが、きっちり思いを表現できてるわけじゃないんですが、

そのままイメージを浮いた状態にしておいたら、

さらに漠然として言葉にできなくなりそうなので、

一通過点として、自分のために書いておこうとパソコンにしがみついています。

 

 

 

 

過去世とか未来とか、

こういう仕事をし始めた時期は

「今」から見て前か後ろの方向の時間を意識した言葉を使っていましたが、

みたまを感じさせていただくごとに、しっくりこなくなってしまいました。

 

 

 

「人」を基準に語るには、

過去と未来で語るのがわかりやすかったりするのですが、

 

 

「みたま」を基準に語るとき、

どうしても「過去-現在-未来」という縦の線だけでは話が進まないことが多いんです。

 

 

『他の次元』とかいう表現で、横の線を交差させたり、

横の線の中にも、はじめの縦の線に沿って並行する『他次元での縦の線』など、

 

 

一つのみたまを感じながらも、

あらゆる方向にびっしりと存在する情報を感じずにはいられません。

 

放射線状に、という言葉も今ひとつしっくりきません。

 

 

「すべて」という空間に、あらゆる情報があって、

それは果てしなく落とし続けられる『イシキのあつまり』。。。のような・・・

 

 

 

仕事上、目の前にいらっしゃる方にお伝えするとき、

今のその方に必要なメッセージをお伝えし、

落とし込んでいただくために

 

 

そのメッセージの出所となった時と 今のその方とを線でつないで、

関係性を語るのに位置づけというか方向付けみたいなものが

必要になったりします。

そこで「過去-現在-未来」や、「他の次元」とかいう言葉を使ったりしています。

 

 

 

 

『みたま』との意思疎通とかケアには、表現でなく、オモイやイシキで対応するので

表現することは意識しないでいられるんですけどね。

 

 

 

メッセージだけをいただいて、目の前の方にパッと渡せば話は早いのでしょうが、

人として生きる私が受取り、

人として生きる相手の方に伝え、心に落とし込んで先へ進んでいただくには、

ある程度のイメージが描ける言葉を差し出すことも必要なんだと思っています。

 

今の私は。

 

 

 

カタチやモノでなく、

『イシキ』が本当の意味で主とされる時が戻ってきたら、

表現に困ることも少なくなりそうですけどね(^^)